競馬昔話

2009年10月27日 (火)

天皇賞(秋)の思い出

1992年(秋)の天皇賞。

人気はトウカイテイオー1本かぶりだった。

 

レースは男藤田メジロパーマーの逃げ。

番手マークに3番人気のダイタクヘリオス

その後ろにトウカイテイオー

さらに4番人気のイクノディクタスと続く。

 

直線に向くと、2番人気のナイスネイチャがすぐ後ろまで接近。

トウカイテイオー相手だから、どの馬も仕掛けが早い。

 

しかし、ここからが意外や意外。

岡部が懸命にしごくが、押せど叩けど伸びてこない。

初めて見る帝王の不甲斐ない姿。

 

 

なんとかナイスネイチャが先頭に立つ。

そこへ内から襲い掛かってくる、ホワイトストーン、ヤマニングローバル

 

 

その時、はるか大外から1頭、素っ飛んで来た!

なんとなんと、レッツゴーターキン!

 

この時の衝撃は今も忘れられない。

 

 

レッツゴーターキンは、前走、福島のオープン特別を走っていた。

あの短い直線で、見せた差脚は確かにケタ違いだった。

「でも中央じゃ通用しないだろうなあ」

誰もがそう思っていたんだろうね。

人気はほとんどなかった。

 

 

馬は栗東、橋口厩舎所属。

ヤネはなぜか関東の大崎昭一ジョッキー。

 

 

この頃、大崎騎手は騎乗数が激減していた。

さすがのダービー2勝ジョッキーでも、腕の衰えは隠せない。

800勝を超えてはいたが、目標の1000勝までは、

「ちょっと厳しいだろうなあ」

普通の競馬ファンは、そう思っていた。

 

 

でもねえ、大崎の腕の確かさは、私はよーく知ってる。 

私の牧場産の馬で、引退するまでに7勝した馬がいるんだけど・・・・・・。

 

3歳から6歳までは、年に1勝ずつ。

それが引退間際、狂ったように7歳で2勝、8歳で1勝したのが、全て大崎ジョッキー。

それも彼が乗った時だけ、3戦3勝。

 

 

この馬ねえ、一応種牡馬になったんだけどさ。

山野浩一さんが何かの本で、

「この馬が大成できなかったのが、分からない。重賞2勝くらいしてたら大変な人気種牡馬になっていたのに・・・・・・」

と書いていたのを、よーく覚えてる。

 

「最初から大崎に頼んでおけばなあ」

な~んて思ってた。

 

 

乗り数の減った大崎騎手は美浦をあきらめ、騎乗機会を求め、ひとり栗東で黙々と稽古に跨っていた。

 

そこへ救いの手を差し伸べてくれたのが、情に厚い橋口調教師だった。

「うちでやってみないか」

 

 

東京の長い直線。

大崎ジョッキーは、お世話になってる橋口厩舎のために、懸命に追った。

そして見事に勝った!

 

 

レース後のインタビュー。

「東京で乗るのは、これが最後かも知れませんからねえ。力いっぱい追いました」

確か、そんなことを言っていた。

 

さらに、

「最後の坂を駆け上がってくる時はどうでしたか?」

 

すると、

「毎日、栗東の坂路で乗ってますからねえ。どーってことなかったですよ」

 

 

この頃は、まだまだ坂路主体の 調教は異色だった。

坂路で乗ってはいても、最終追いきりはコースで、というのが普通だった。

 

今思うと、レッツゴーターキンがある意味、坂路調教のパイオニアであったのかも知れない。

美浦に坂路が出来る伏線としてね。

 

 

この年の2着には、レッツゴーターキンとほぼ同じような位置から、ムービースターが突っ込んできている。

 

これも凄まじい脚だったよ。

鞍上は豊君

 

 

今年は何に乗るんだっけ?

ああ、ウオッカか。

当たり前。

 

ちょっと心配だなー。

坂下で脚が止まったところで、後ろから来た馬にサーッとやられそうな・・・・・・・・?

 

そんな予感がするのは私だけ・・・・・・・?

 

 

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2009年10月21日 (水)

菊花賞の思い出

菊花賞は1969年のアカネテンリュウの年から記憶にあるな。

 

この年はね、関東の人はほとんど全てがこの馬のファンだった。

アケネテンリュウじゃないよ。

ミノル。

 

直線に向いて、実況の鳥居アナウンサーがミノルを探す。

 

「ミノルは・・・・・・・・、伸びません」

 

この暗~いひと言を、40年たった今でも覚えてる。

ほんと悲しかったなー。

 

 

この年の菊花賞、12着にロースタメイトって牝馬がいるんだけどさ。

これホウシュウエイトのお姉ちゃんで。

 

後年、このロースタメイトの子供の面倒を随分みたのよ。

懐かしいな。

 

 

さてさて、そんな誰も知らないような話をしててもしょうがないので・・・・・・。

 

 

菊花賞の歴史の中で、一番の思い出はやっぱりプレストウコウかな。 

 

この馬のお兄ちゃんがノボルトウコウでね。

福島県人の私とすれば、当然デビュー当時から応援しちゃうわけ。

 

知ってる? ノボルトウコウって馬は、スプリンターズSを勝ち、その直後にはステイヤーズSに出て来たような馬なんだよ。

まるでナリタブライアン級でしょ?

 

 

春シーズン、プレストウコウはNHK杯を勝ってはいたが、ダービーは完敗だった。

秋になり、セントライト記念を一気の逃げ切り。

西下して、京都新聞杯は直線インをすくって見事な差し切り。

 

杉本アナウンサーの実況は今でも覚えてる。

「一番内からプレストウコウ! 決めた!」

 

 

そして本番菊花賞。

直線に向いて、

「プレストウコウはまた内へ・・・・・・」

と杉本アナが言いかけたところで、郷原ジョッキーは大外に進路変更。

「えっ? 大丈夫か?」

 

先頭には、関西の期待、テンメイがたっている。

「テンメイ先頭! テンメイ先頭! トウメイが待っているぞ!」

杉本節にも力が入る。

 

しかし、次の瞬間、

「外からプレストウコウ! 外からプレストウコウ!」

 

一瞬にして、テンメイを抜き去り歓喜のゴール!

芦毛馬が初めてクラシックレースを勝った瞬間だった。

 

 

その後のプレストウコウは不運の連続だった。

翌春の天皇賞。

1番人気で出走するも、まさかの鞍ズレ、競争中止。

 

今じゃ、想像もつかないでしょ?

 

秋の天皇賞では、まさかのカンパイ。

 

「カンパイ」なんて聞いたことある?

自分で調べてみて。

 

何だっけな、確かパワーシンボリか何かのゲートが開かなかったような。

 

 

再発走となったレースでは、何と久々の逃げ。

でも直線、テンメイにつかまって、雪辱されちゃったな。

 

 

菊花賞ってね、武親子で8勝もしてるんだね。

でも豊は、1番人気ノーリーズンで落馬、なんていう、八百長まがいのこともするからな。

 

今まで一番強かった菊花賞は、何かな?

やっぱりセイウンスカイかな。

 

近年、逃げてブッチ切ったのはあの馬くらいだもんね。

 

 

今年のリーチザクラウン、これは間違いなくステイヤーだよ。

豊が普通に乗れば、勝てるかも・・・・・・・・ね?

 

 

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2009年10月12日 (月)

カツラノハイセイコの思い出

カツラノハイセイコが死んだ。

33歳だってさ。凄いね。天寿を全うしたんだね。

 

シンザン35歳、ハイセイコー30歳。

本当の名馬っていうのは、内臓も肉体も丈夫にできてるんだね。

 

カツラノハイセイコは、福永洋一でダービーを目指したが、彼は自身の落馬事故でその夢を果たせなかった。

 

乗り替わった、シンザンの松本善登は、見事ダービーを制し、父ハイセイコーの無念を晴らしてくれた。

 

しかし松本は、これ以降体調を崩し、2年後、カツラノハイセイコの引退とほぼ同時に、ガンで亡くなっている。

 

  

カツラノハイセイコの思い出で、一番心に残ってること。

 

1980年9月、オープン特別のサファイヤステークスに、カツラノハイセイコは1年ぶりに出走してきた。

 

当時は病み上がりのため、ダービー馬とはいいながら、人気は全くない。

すでにほとんどの人が、「カツラノハイセイコは終わった」と思っていた。

 

レースは芝のマイル戦。相手はかなり強い。

距離が延びて頭角を現してきたカツラノハイセイコにとっては、明らかに距離不足。

 

鞍上は河内洋に乗り替わっていた。

当時売り出し中の河内ではあったが、レースではほぼ勝負をあきらめたかのように、淡々と後方を追走する。

「あららら、やっぱりダメかなー?」

 

最後の直線、当時中距離では圧倒的に強かったニチドウアラシが楽々と抜け出す。

カツラノハイセイコは?・・・・・・・と思ったら・・・・・・・?

 

「来た! 来た! 来た! 来た! カツラノハイセイコ! 物凄い脚!」

 

杉本アナが言ったかどうかは覚えてないが、とにかく信じられないような脚で突っ込んできた。

まさに鬼脚!

 

 

「腐っても鯛!」

 

翌日の「競馬ブック」のレース回顧の欄に、この言葉が大きく書かれていたことだけは、はっきりと覚えている。

 

 

昨日のオウケンブルースリ。

まさに、「腐っても鯛!」

 

管理する音無調教師は、東西重賞を制する離れ業!

 

カツラノハイセイコ産駒、唯一の活躍馬といえるのが、オークス2着のユウミロク

その鞍上は、若き日の音無秀孝ジョッキー。

 

カツラノハイセイコの弔い合戦だったんだね。

 

 

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2009年8月23日 (日)

トウショウボーイの思い出

今日の札幌記念、

ひどいレースだったねえ。

一本かぶりの馬があんなレースしちゃあねえ。

 

アンカツは完全に腕が落ちてるな。

バカの一つ覚えみたいに、ワンパターンの競馬しか出来なくなってる。

 

春の2冠もただ単に馬の力で勝たせてもらっただけだし、ほんとひどいな。

次走は乗り代わり必至?

 

でもなあ、松田厩舎だとはありえないし、替わるジョッキーがいないか。

  

 

30数年前の札幌記念。

トウショウボーイがグレートセイカンに負けたレース。

まさにうりふたつ。

 

当時私は、結構トウショウ牧場に近いところにいてね。

牧場の人たちがボロクソに言ってたのを思い出すな。

「池上のヤロー、ヘッタクソな乗り方しやがって!!」

 

池上ジョッキーは次走から乗り代わり。

二度と戻ってくることはなかったな。

 

 

凱旋門賞に行くんなら、地元のジョッキーに頼んだほうがいいと思うよ。

 

 

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2009年6月24日 (水)

宝塚記念の思い出

1977年の宝塚記念。

 

出走馬は、わずか6頭。

しかし、そのすべてがG1ホースという豪華版。

 

レースは、いつもと同じトウショウボーイの逃げ。

それを番手マークでテンポイント

その後ろにグリーングラス

相変わらずの3強対決。

 

ちょっと離れて追い込みにかける、アイフル、ホクトボーイ、クライムカイザー。 

 

天馬トウショウボーイの逃げは、後続の追撃を許さない。

まさに1列棒状、影さえ踏ませない。

 

後ろの馬は何も出来ない。

まるで、太田真一か吉岡稔真のF1先行を見るよう・・・・・・・。

 

このレースの凄かったところは、6頭が走って道中の位置取り、そのままでゴールまで辿り着いたところ。

それほど、トウショウボーイの競馬は強かった。

3着グリーングラスまで5馬身、4着アイフルまで10馬身・・・・・・。

 

 

さてさて今年の宝塚記念。

そんな伝説的な名馬にお目にかかれますかな?

 

他人様のデータをパクってみました。

 

年齢 成績 勝率 連対率 3着内率
4歳 7-5-1-28 17.1% 29.3% 31.7%

スマートギア    牡4 武豊  58 栗東 佐山
ディープスカイ   牡4 四位  58 栗東 昆
モンテクリスエス  牡4 安藤勝 58 栗東 松田国

年齢 成績 勝率 連対率 3着内率
5歳 1-4-4-33 2.4% 11.9% 21.4%

ドリームジャーニー 牡5 池添  58 栗東 池江寿
ヒラボクロイヤル  牡5 未定  58 栗東 大久龍
アルナスライン   牡5 蛯名  58 栗東 松元茂
スクリーンヒーロー 牡5 横山典 58 美南 鹿戸雄

年齢 成績 勝率 連対率 3着内率
6歳 1-0-3-22 3.8% 3.8% 15.4%

マイネルキッツ   牡6 松岡  58 美北 国枝
エリモエクスパイア 牡6 小牧太 58 栗東 大久龍
サクラメガワンダー 牡6 福永  58 栗東 友道

年齢 成績 勝率 連対率 3着内率
7歳以上 1-1-1-20 4.3% 8.7% 13.0%

アドマイヤフジ   牡7 川田  58 栗東 橋田
インティライミ   牡7 佐藤哲 58 栗東 佐々晶
カンパニー     牡8 岩田  58 栗東 音無
コスモバルク    牡8 津村  58 門別 田部

 

何が勝つと思う?

私は、カンパニー。
  

願望かな。 

 

 

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2009年4月 7日 (火)

桜花賞の思い出

桜花賞の記憶はどうだろう、ナスノカオリのレースからかな、おぼろげに覚えてるのは。

 

はっきりと強烈に覚えてるのは、もちろんテスコガビー。

ビュンビュンと逃げて、直線は大独走。

まさしく、後ろからは何にも来なかった。

 

このレース、親に頼んで馬券を買っててね。

取ったのよ、2着ジョーケンプトン。

 

何で取れたかというと、ズバリ、名前。

何か、この名前、いいでしょ、ジョーケンプトン。

子供心に引っかかったんだな。

 

 

その翌年のテイタニヤ。

これは、一瞬出遅れてね。ビックリしたな。

 

でも、そこは牝馬の嶋田ジョッキー、最後方から冷静に馬群をぬって進出。

ゴール前、きっちりと差し切ってみせた。

いやー、感動したな。

 

テイタニヤはその後、いわきの馬の温泉で休養しててね。

何回も見に行ったな。

 

厩務員さんが話好きな人で、すぐに「日本一の牝馬、日本一の牝馬」って、口癖のように繰り返してたっけ。

  

 

ダイアナソロンの時は、丁度関西に出張しててね。

阪神に見に行ったさ、いい天気の日だったなあ。

 

パドックで見て、ひと目で断然、ダイアナソロンが素晴らしい出来。

負けるわけないと思ったね。

 

レースでは田原ジョッキーが自信満々の騎乗、4コーナーで内に入り、楽々と馬なり先頭。

直線は後続をあっという間にちぎって、おいでおいでの大楽勝。

単勝、随分儲かった記憶があるな。

 

今、記録を見ると、3番人気だったんだね。

今の今まで、ずーっと、圧倒的な1番人気だと思ってた。

それほど図抜けてた馬だったからね。

  

 

武豊のシャダイカグラとオグリローマンも良かったなあ。

シャダイカグラは出遅れて、これも大変だったけど、さすが天才豊君、ハラハラさせながらも、ギリギリで差しきった。

 

オグリローマンは、なんといってもオグリキャップの妹だからね。

人気先行で、あまり走らなかったけど、このレースでは魂が乗り移ったかのように激走したな。

ゴール寸前、内から差し込んできたツインクルブライドをハナ差しのいで優勝!

涙が出るほど感動したさ。

  

 

負けた馬にもいっぱい思い出があるな。

マックスビューティーにぶっちぎられた、コーセイ。

タイテエム産駒の抽選馬でねえ。

鈴木寿ジョッキーのお手馬だったのに、強いと分かったらすぐに増沢騎手に替えられて可哀想だったな。

 

でも2年ぐらい経って引退間際、鈴木ジョッキーの手に戻ってきた時、中山記念をぶっこ抜いて見せたんだよねえ。

ジョッキーも重賞初制覇で感動したな。

馬も人の気持ちが分かるのかな、って、本当に思ったさ。

 

 

エルプスの年の1番人気、タカラスチール。

これも佐藤吉勝調教師のお手馬だったのに、本番前に急に下ろされて、馬がショックを受けたのか?なぞの大惨敗をしたさ。

まさしくなぞの大凡走だったな。

 

  

この2頭はとくに好きな馬だったから、負けたのがショックでねえ。

馬券も相当やられたし。

 

 

いろいろ思い出を語りだせばキリがないさ。

私の人生の歴史でもあるからねえ。

 

今年もまた、いいドラマが見たいな。

 

 

 

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2009年3月11日 (水)

奇跡の血量18.75%

最近は全然聞かなくなったよね。

奇跡の血量18.75%。

 

昔は、どこの生産者もこの数字が頭の片隅にあったものだけどね。

 

誰でも知ってる、3×4の配合さ。

ダビスタなんかをやってた人は知ってるよね。

 

エルコンドルパサーが走ってからじゃないかな?

近親交配が、かえって増えてきたのは。

 

今じゃ、サンデー×ブライアンズタイム、なんて、平気でやるもんね。

 

 

遠い昔、牧場で働いてた頃、社長が1頭の肌馬を買ってきた。

父はダイアトム。

母の父がハイペリオン!

 

2000万した、って言ってたな。

当時としては、相当な高馬、そして「世界の良血」だったさ。

 

でもねー、この馬、子供がとまらないのよ。

全然、妊娠してくれない。

確か、それまで産駒が1頭しかいなかった。

 

それでも、世界の名血、「ハイペリオンの血」だからね。

一発当たれば儲けもん。

 

付けた種馬が「メジロアサマ」

聞いただけで気が遠くなるでしょ?

 

知ってる人は知ってる、こちらも受胎率が超低い、1割バッターだったからね。

 

でも、たまに競馬場で走る産駒が、馬鹿みたいに走るのよ。

「メジロティターン」とかね。

 

なんで、アサマを付けたかというと、

「ハイペリオンの奇跡の血量、18.75%」だからですよ。

ロマンがあるでしょ?

 

でもねー、確か3年くらい続けて、やっぱりダメだったなー。

お互いに性欲のない、「パンダの交配」みたいだったさ。

 

 

でも今、あらためて血統表を見ると、「おかしいな?」

アサマの血統には、ハイペリオンが出てこないな。

あれ? 他の馬と勘違いしたかな?

 

30年も前の記憶なんて、そんなもんです。

いい加減なことばっかり書いて、すみませんね。

 

 

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2009年3月 3日 (火)

弥生賞はハイセイコー

弥生賞といえば、もちろん怪物ハイセイコー!

 

ハイセイコーの中央デビューから、もう36年か。

ここまで古い話だと、並みの競馬ファンならついて来れないかな?

 

あの時の騒動は凄かったな。

日本中でハイセイコーを知らない人なんて、誰もいなかったはず。

  

後にも先にも、日本競馬が最高に盛り上がった瞬間だったね。

間違いなく、史上最大のアイドルホースであり、今日の競馬隆盛の功労馬さ。

 

 
レースは楽勝で、単勝はもちろん100円元返し。
かすかな記憶では、単勝馬券あまりに売れすぎて、競馬会の持ち出しだったと思う。
(100円配当金出しちゃったら、競馬会の赤字)
 
 
 
日本競馬史上、本当に全ての競馬ファンから愛された馬は、たった3頭。
 
ハイセイコー
 
テンポイント
 
オグリキャップ
 
 
今年の弥生賞に出てくるメンバーで、そんな馬がいますか?
 
いないよね。
 
 
 
こういうご時世だからね。
 
強いだけじゃない、人々の心をうつような馬、そしてレースを期待したいよね。
 
 
 

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2009年2月28日 (土)

中山記念はハイセイコー!

中山記念の本命は、もちろん怪物ハイセイコー。

 

な~んてね。

そんな簡単に馬券が取れたらいいなー。

 

ハイセイコーの中山記念から、もう35年か。

私も年を取ったもんさ。

 

あの時のハイセイコーは、とてつもなく強かったな。

ダービー以降、負けっぱなしで、「もうハイセイコーは終わったのか」と競馬ファンの誰もが思ってた。

 

ところが、4コーナー入口で馬なり先頭。

そこからは後続を一気に突き放し、終わってみたら大差のぶっち切り!

私の長い競馬歴でも、古馬のG1級が揃うレースで、あれほど圧倒的な勝ち方をしたレースは、他にはないさ。

 

あの頃は、古馬になったら春秋、3200mの天皇賞と有馬記念しか大レースはなかったよな。

だからハイセイコーにはそれほど目標もなく、早々に引退しちゃった。

 

ジャパンカップなんてないし、宝塚記念も高松宮杯もただの普通重賞だった。

今みたいに競馬体系が整備されてたらね。

中距離のG1、ダートのG1はすべて制するような、とてつもない成績を収めたことだろうな。

 

引退してからも、何回も明和牧場まで会いに行ったさ。

本当に、あれほど好きだった馬は他にないな。

 

初年度産駒から、ダービー馬カツラノハイセイコを出し、堂々たる種牡馬成績だった。

ライバル、タケホープがもうひとつだったのに比べれば、リベンジを果たしたとも言えるか。

 

タケホープに乗ってハイセイコーを痛めつけた、武邦彦調教師もいよいよ定年だね。

増沢さんも辞めたし、感慨深いな。

 

でも、ハイセイコーに乗ってた、大井の高橋三郎調教師は、今がバリバリだよね。

 

馬は世につれ・・・・・・

 

永遠に続くのさ・・・・・

 

 

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2009年2月 4日 (水)

594万馬券の思い出

皆さんは、どんな高額馬券の思い出がありますか?

私は遠い昔に、594万円という払い戻しを受けたことがあります。

もう時効なので?暇つぶしに書いてみましょう。

 

 

昭和50年代半ば。

私は北海道の牧場で働いていた。

 

夏競馬が始まると、3歳馬、あるいは休養馬を函館まで持っていく。

その日も1頭の新馬を入厩させるべく、坂口厩舎の出張馬房を訪れていた。

 

 

「先生、ひとつお願いしますよ」

話の相手は、坂口正二調教師である。

 

若気の至りで、私は毎回、平気で老先生に話しかけていた。

話の内容はもちろん、今日のレース予想! 

 

坂口先生は、当時、関西NHKの競馬解説を務めるほどの名伯楽。

馬を見る目は、当代随一。

 

温厚な人柄で、私が渡す競馬新聞に、それこそ鉛筆を舐めながら印をつけてくれる。

 

出張先で暇なのかどうか知らないが、競馬予想するのは結構楽しそう。

まさに、「ここ函館にいる全ての馬は完全に把握している」かのごとく、自信たっぷりに予想してくれる。

 

印は3頭。 確か、◎、○、とつけて、3頭目は星印☆だったような記憶がある。

 

 

私はそれを持って、馬主席に上がる。

そうすると、回りの顔見知りの牧場関係者なんかが、「どれどれ?」と覗きにくる。

その人たちも、自分の先生から同じように予想してもらってるんだけどね。

いい時代だったな。

 

 

ある時、そろそろ帰ろうかという時間になって、うちの牧場のオヤジさんが、

「よし、これで全部勝負したるわ!」

と、私に馬券を買いに行かせた。

 

預かった金は15万。

この日は結構馬券が当たり、5万くらい持ってきたのが15万になっていた。

 

レースも馬名も忘れたが、とにかく坂口先生がつけてくれた本命-対抗の連勝複式に、特券150枚をつぎ込んだ。

その頃は連複馬券しかなかったしね。

 

 

そしてレース。

ゴール寸前、その2頭の馬が、先頭、2番手で逃げ込みを図る。

我々は馬主席で大絶叫!

 

ところがゴール寸前、

大外から1頭に差し込まれて、

「あ~~~~あ~~~~~」

 

がっかりして、立ち上がったが、一応は写真判定。

当時は、巨大スクリーンなんてないし、場内テレビの小さな画面で見る限り、完全に差し込まれてる。

 

 

ところがどっこい、写真判定の結果、なんと残ってた!

 

うれしいのなんのって。

配当は相当ある。

 

我々は一応関係者だから、オッズなんてほとんど気にしないわけよ。

牧場と縁のある馬とか、そんなのばっかり買ってるからね。

 

そして窓口に払い戻しに行き、受け取った配当金が忘れもしない594万円!!

結構すごいでしょ?

 

でもねー、馬主席じゃそのくらい、どーってことないんだよ。

私はもっとすごいの、何回も見てるから。

 

 

この話には続きがある。

思わぬ大金を手にしたオヤジさんは、すかさず動いた。

「どうですかね。500万で売ってもらえんでしょうか?」

 

隣に座った某牧場主と、そこの繁殖牝馬の購入交渉である。

500万をポンと積んで、前から狙っていた血統の肌馬を買いたい、と頭を下げる。

 

そしてこの交渉は、なんと成立してしまった。

 

 

それから何年たったろう。

私が牧場をやめて相当たってから、その時の肌馬からG1ホースが誕生したのは、紛れもない事実である。

 

坂口先生、ありがとうございました。

 

 

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2009年2月 3日 (火)

複勝馬券の思い出

世の中には、複勝馬券で勝てる!って思ってるオバカさんが結構いるんですね。

頭切り替えた方がいいんじゃないの? と思うけどね。

 

私も時には複勝を買うけど、それはほとんど「暇つぶし」だなー。

何となく買う馬券が見つからなくて、何も買わないのも悔しいから、100円くらい遊びで買う。

 

狙うボーダーラインは、500円かな。

3着までの1頭くらいは、そのへんの配当になることは多いからね。

先週のスマイルジャックなんて、590円ついたでしょ。

 

狙って買うのは、最近では外人騎手。

それもジョッキーシリーズなんかでやって来る、まったく知らない騎手。

 

草競馬からやってくる騎手も買うなー。

みんなうまくて当たり前だし。

 

でも、100円が500円になっても、あんまりうれしくないよね。

複勝で勝負してる人って、相当の金持ちなんだろーなー、っていつも思ってる。

 

 

複勝馬券で儲けた話なんてほとんどないけど、遠い昔に一度だけ、6万儲けたことがある。

 

昭和56年のダービー。

逃げ込みを図る「カツトップエース」に、大外から追い込んできた21番人気の「コーラルシー」

これが3着に入って、忘れもしない、複勝2090円。

ダービー史上最高配当だったなー。

 

  

このダービーはこの複勝3000円だけ買って、テレビで応援してた。

 

自分の世話してた馬だったからね。

懐かしいな。

 

 

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2009年1月 2日 (金)

中山金杯の思い出

金杯の歴史を眺めてたら、私は「ハクセツ」の頃から記憶があるな。

その前の「オンワードヒル」、「ヒガシソネラオー」の頃は、多分テレビでやらなかったんだと思うよ。まったく覚えてないし。

昔は、競馬は日曜しかテレビ中継がなかったしね。金杯はダイジェスト的にしか、見れなかった。

 

ハンデ戦だからね。なかなか当たらないさ。

もちろんバリバリのオープンは出てこないしね。有馬記念の後だし。

 

なんかすごい儲かった記憶があるのは「メイジタイガー」かな。1983年。

その頃が一番馬券買ってたし。

 

メイジタイガーって、「オンリーフォアライフ」産駒でさ。まあスタミナ血統で。

オンリーの種付けで、よく静内まで行ったな。遠路はるばる。

うちの牧場は、こういう重厚な血統が大好きだったからね。

 

ドロッポロード、エイティトウショウ、スズパレード、クシロキングなんかは、中距離の名馬だよね。

昔は、そういうG1級も出てきてたんだな。懐かしいな。

 

アサカディフィートは今年も出るの?

またまた金杯に的を絞ったようなローテーションに見えるけど。

ここ何年も、夏競馬をしっかり休んで、秋から春まできっちり走るローテーション。

 

久々に見る、「名馬」だね。

頑張って欲しいな。

 

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2008年12月24日 (水)

有馬記念の思い出(2)

グリーンチャンネルでもらった来年の競馬カレンダー、12月は何とも懐かしい、「王者テンポイント!」

 

私の長い競馬歴で考えても、これが間違いなくナンバーワンホースだな。

これほどの名馬は、後にも先にもいない。

海外遠征直前に亡くなったが、無事なら勝っていたかもね。

 

あまりにも強すぎたために、最後のレースは、負担重量66.5kgという、とてつもないハンデさ。 今じゃ、考えられないよね。

 

私の実家に帰ると、今でもその頃の競馬資料が本棚に整理されてる。

「捨てていいよ」というのに、両親が一向に捨てなくてね。

「お前の歴史だから・・・」とか言って。

 

時折、テンポイントの写真集なんかを引っ張りだして、その頃の感慨に浸っている。

そういえば、テンポイントの葬式にも行ったな。

雪のものすごい日だったな。

 

今年の10月、何年ぶりかで北海道で仕事をする機会があり、帰りがけ、吉田牧場に立ち寄り、お墓参りをしてきた。

今まで、何回来たろう? 昔は「マイスワロー」とかの種付けによく来てたな。

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ついでに社台スタリオンにも行って、ディープインパクトなんかも見てきた。

前回来た時にいた、ナリタトップロードは亡くなったんだね。

悲しいね。

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有馬記念といえば、真っ先に思い浮かぶのが、この「テンポイントのレース」

世紀のマッチレースなんてよく言われるが、私に言わせれば、ただの「テンポイントの横綱相撲」

それほど抜きん出た馬だったな。

 

今年は牝馬の「ダイワスカーレット」が本命なんだってね。

へー、いよいよ牝馬が勝てる時代が来たのかな。

 

今まで牝馬の代表が何頭もグランプリに出てきたけど、どれも勝てなかったよね。

テイタニヤ」とか「ビクトリアクラウン」は、頭から買ってみたけどね。

 

高校生の頃、福島県いわき市に住んでてね、有馬記念の馬券を福島競馬場まで往復6時間、バイクをぶっ飛ばして買いに行った。

 

インターグロリアが2着に来たレース。 あの時は17100円馬券を買ってきた。

当時は馬券の種類が、200円券、500円券、1000円券だったかな。

 

家に2時頃帰ってきて、レースを見た。

狙いはもちろん、大好きなプレストウコウ。 でも、これが全く動かなくてね。

 

カネミノブが強烈に差して、先行したインターグロリアが2着。

ところが私は、インターグロリアの複勝を3000円買ってたんだな。

これが570円ついた。

 

結局、17100円馬券を買ってきて、配当も17100円だった。

昔から、なーにやってんだか。

未だに進歩がないけどね。

 

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2008年12月23日 (火)

有馬記念の思い出

有馬記念の思い出は山ほどありますが。

 

今から30年くらい前、私は北海道の牧場にいた。

そして、その日はいつものように、直径15mくらいの丸馬場で、2歳馬の馴致を行っていた。

 

調教メニューも終わり、並足で息を整えていたその時、何かの物音に驚いた騎乗馬がいきなりソッパした。

反射的に私は手綱に力を入れたが、その手綱がブチ切れたため、私は見事に宙に舞った。

そして、どうやら木柵(と言っても鉄パイプ)に頭をぶつけたらしい。

 

とりあえず私は、馬を引いて厩舎に戻ったようだ。

馬を繋ぎ、麦わらの上にぼーっと座っていると、牧場の人がやってきた。

 

「どうした? 落ちたか?」

「・・・・・・・・」

「頭打ったようだな。病院行こう」

 

それからしばらく、何も覚えていない・・・・・・。

 

気が付くと、ベッドに寝ていた。

頭がはっきりしない。ぼーっとしている。

「はて? 私は誰? ここはどこ?」

 

部屋を見渡す。

どうやら自分の部屋のようだ。

時間がたつにつれて、「北海道の牧場で働いてるんだなー」、ってことが、おぼろげに思い出されてきた。

「どうも、馬から落ちて病院に行ったような気がするなー」

 

「さて、今は何時? 今日は何月何日?」

 

頭を打ってるので、一種の記憶喪失になってたことは、後から知った。

全てを思い出すのに、1週間くらいかかったからね。

 

テレビをつけてみた。

競馬がやってる。

「おっ、有馬記念じゃん」

 

ちょっとずつ思い出してきた。

そう言えば、馬券も買ったような気がする。

 

レースがスタートした。

馬の名前を聞いてると、思い出すのも早い。

「メジロファントムを買ったよなー」

 

最後の直線、逃げ込みを図る「グリーングラス」を目掛けて、「カネミノブ」が追い出しにかかる。

そしてその鼻先をかすめるように、「メジロファントム」が飛んできた。

 

ボーッとテレビを見ているため、応援の声は出ない。

グリーングラスとメジロファントムが同時入線しても、当時は枠連しかないから、どっちに転んでもいい。

 

何となく、馬券が当たったような気がして、ようやくベッドから起き上がった。

「さーて、仕事しないとな」

 

当時、私の牧場のすぐ近くに、横山富雄ジョッキーのお兄さん家族が住んでいた。

うちの牧場とは懇意にしていたみたいで、何度か会ったことがある。

「メジロファントムはいけるみたいですよ」

なーんて話を聞いて、馬券を買ったような気がする。

 

もちろん、横山富雄ジョッキーの息子が、「横山典弘」である。

 

そんなことを思い出したら、今年は横典の馬券を買わないとダメかな。

 

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2008年12月22日 (月)

騎手の乗り替わり

騎手の「乗り替わり」ってよくあるよね。

 

昔でいえば、3冠ジョッキーの「南井」を降ろして、「武豊」をオグリキャップに乗せたりね。

その「武豊」もこの頃じゃ「アドマイヤ」を降ろされたりしてるけどね。

 

その降ろされた馬に、「村田」が乗ったりしてる。

何だかなあ。

 

実績のない若手ジョッキーで勝てない場合、馬主サイドの要望でトップジョッキーに替わるのは、まあしょうがないけどね。

 

昔、「アローエクスプレス」を降ろされた「柴田政人」が大成したように、降ろされた方も、反骨心をもって、頑張ってもらいたいものです。

二本柳壮」クン、あなたのことを言ってるんだよ。

どうしてそんなに勝てなくなっちゃったの? 努力してる?

 

亡くなった「戸山為夫」先生の思い出。

 

戸山厩舎には、「小島貞博」、「小谷内秀夫」のふたりのジョッキーがいた。

戸山先生のポリシー。

「ワシは、ワシとこの馬には二人を必ず乗せる。他の騎手は乗せん。毎日、稽古をつけてる馬に、レースで乗れんかったら悲しいやろ」

 

スパルタ式で、見込みがないと思われた馬はどんどん引退させ、回転させていった、非情な「戸山厩舎」であったが、実は人情家で騎手の乗り替わりは絶対に同意しなかった。馬主の強い要望があっても。

 

戸山先生が亡くなった後、その弟子の「森先生」は、ジャパンカップですぐに小島を降ろし、河内を乗せ、そして「レガシーワールド」は勝った。

 

戸山先生の奥さんは、

「馬が勝ったのはうれしいが、騎手が弟子の小島でなかったのが残念」

と、コメントしていた。 

ちょっと、「ジーン」ときたね。

 

戸山先生のもうひとりの弟子、「鶴留先生」は、ダービーで小島を乗せ、そして「タヤスツヨシ」は勝った。

 

調教師となった「小島先生」は、娘婿の「田島翔」を乗せる。

 

馬券を買う側にとっては、「鞍上強化」という言葉には、すぐ飛びついてしまうが、レースをするのは「お馬さん」なんですよ。

強い馬が勝つ。それが競馬。

そうあって欲しいね。

 

昔は今みたいに、「フリー」の騎手なんかいなくてね。みんなどこかの厩舎に所属していて、自厩舎の馬ばかりに乗ってた。

だから岡部とか柴田がリーディングを争ってたころは、年間50勝とか60勝でトップだったな。

 

岡部がフリーの草分けかな。

今は、騎乗機会を求めて、若くして、みんなフリーになる時代だね。

 

コーディネーターとか、エージェントとかがいるんでしょ?

すごい時代になったもんだね。

 

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